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zoom RSS 「自己中」だと感じる時

<<   作成日時 : 2015/06/18 20:12   >>

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まず始めに画面の向こうのあなたへ!こんなブログを読んでくれてありがとう!!
そして名もないこんなブログを開くあなたはよほどの暇人なんだね同情するよ´・ω・`

…というわけでこんな俺に嫌悪感を感じる方は今すぐブラウザバック推奨です。以下本文

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自己中とは一体何なのか(哲学)

…いや、別に最近言われたとかじゃなくてな。だいぶ前に言われた事はあるが。
で、学生の頃の話なんだが、「自分中心に考えない人間は果たして本当にいるのだろうか?」と、本気で考えたんだ。

ゲームをするのは「自分が楽しむため」
誰かを助けるのは「自分ってカッコイイが楽しいから」
嫌な仕事を仕方なくするのは「自分が面倒ごとを避ける為」
飯を食うのは「自分の体が必要としているから」

あの時は、「行動に差はあれどみんな同じじゃないのか?」と結論づけたが、今回はもう一段掘り下げて考えてみよう。

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【結論から言えば「自己中」とは「相手と自分の考え方の違い」が原因の言葉である】

例えば……学食での昼食時、自分が座っている大きなテーブルの向かい側に、クラスメイトが座るのを想像してくれ。
自分も相手もうどんを食べようとしていて、自分の手元には七味がある。
この時、お互いどのような行動をとるだろうか?相手はこう切り出すかもしれない。

「使い終わったら貸してもらえますか?」

こう言われた時、自分は座ったまま中央手前に七味を戻すかもしれない。だが、相手はその選択に納得するだろうか?
相手はこう言われた時は、立ち上がって相手のそばに置く考えの持ち主かもしれない。
そのような相手からすれば座ったまま自分の近くに置く事は「自己中心的」な考えだろう。
逆に座っている自分からしたら、「わざわざ立ち上がって渡される事を期待する」事こそ「自己中心的」な考えではないだろうか?

このように、個人個人の価値観の違いからのすれ違いが、「自己中」の正体だと俺は考える。
つまり、「自己中」とは「自己中だと思う側も思われる側も、一人一人考えが違うからこそ現れる言葉」だという事だ。

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さて、結局何が言いたいのかというと、相手に対して「自己中」だと感じる時は、自分の価値観と相手の価値観の違いを感じる時であり、自分に絶対的な自信があるからこそ相手を「自己中」だと評価できるのである。

自己肯定は大切だ。しかしそのために他者否定をしている、それを忘れない為にここに書き残したのである。

つまりこれは俺の備忘録だ。これを読み、何を感じるかはあなた次第であり、それを侵害するつもりはない事をここに宣言する。

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というわけでここからが本文でっす・ω・ノ</p

え、本文詐欺?いいじゃんたまにはこういうのも〜w
まぁ実際、上の文章を頭の外に出したくて書き込んだんだけど、あまりにかたっ苦しいからそれだけで終わるのもどうかと思って付け足しただけなんだけどね´・ω・`
とりあえず、「相手を自己中と評価した時」、「相手に自己中と評価された時」、そんな時俺自身がこの文章を思い返すために書き出したのである´ω`

というわけで本文と言いながらこちらに書き込むことはもう無かったり。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!またね〜・ω・ノシ

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